11月7日8日に漱石松山赴任120年記念イベントが松山市で開催されました。
7日の午後、約120人の参加者が、13の班に分かれて、市内の漱石ゆかりの場所を見学しました。地元の人のほかに、鎌倉、和歌山、長野、新宿、熊本などの漱石の会からも多く参加していました。
この写真は、漱石が赴任した愛媛県尋常中学校(後の松山中学校)跡です。(現在はNTT西日本愛媛支店)
ほかにも、愚陀仏庵跡や、城戸屋旅館跡などを見学しました。松山坊っちゃん会や子規会ほか多くのボランティアの方のガイドで多くのことを楽しく教えていただきました。
8日は記念シンポジウムが開かれました。基調講演は坪内稔典氏で、松山を俳人漱石の誕生として位置づけたものでした。坪内氏の持論である、子規の「柿喰へば鐘が鳴るなり法隆寺」は漱石の「鐘つけば銀杏ちるなり建長寺」をふまえての句であることも述べられました。パネリストは、武内哲志(松山坊っちゃん会会長)、今村威(松山子規会副会長)、松根敦子(松根東洋城の姪)、オブザーバーとして坪内氏と竹田美喜(松山市立子規記念博物館館長)、コーディネーターは三浦和尚(愛媛大学教育学部教授・副学長)、の皆さんでした。
個人的には松根さんによる、東洋城と柳原白蓮の話を大変興味深いものに思いました。
(松本洋二・記)
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